【なぜ子どもたちは避難できなかったのか】津波に襲われた大川小学校が“遺したもの” 東日本大震災から12年【newsおかえり特集】

石巻 市立 大川 小学校

宮城県石巻市では大川小学校が津波にのまれ、児童74人、教職員10人が亡くなった。 地震発生から津波が学校に到達するまで約51分。 津波情報は学校側にも伝えられ、校庭のすぐ裏には山があったのに、なぜ子どもたちは校庭に居続けて津波に 震災当時大川小学校の4年生だった鈴木巴那さんの赤いランドセル。6年生だった兄の堅登さんは遺体で見つかり、巴那さんは現在も行方不明と 東日本大震災の津波に襲われ、最も安全であるはずの学校管理下で過去最悪の犠牲を出した宮城県石巻市立大川小学校の事故。 児童七十人と教員十人の命が奪われ、今も四人の児童の行方が分かっていない。 児童の遺族が起こした訴訟は昨年十月に学校側の「事前防災」の不備を認めた二審判決が確定し、終結した。 学校防災に大きな課題を突きつけた東日本大震災から間もなく十年。 こちらからご覧ください。 宮城県石巻市立大川小学校の児童らは、地震の発生から約50分後まで校庭で待機しました。 そして学校側の指示で、近くの「三角地帯」と呼ばれる橋のたもとに避難に向かいましたが、その間に、津波に巻き込まれたとみられています。 宮城県石巻市は東日本大震災で最も多くの犠牲者を出しました。行方不明者を含め、その数は3970人になります。 遠藤伸一さん・綾子さん夫婦 東北一の大河、北上川の河口から約4km上流に位置する宮城県石巻市立大川小学校。 11年前、津波が押し寄せ、児童・教職員84人が犠牲になった。 この記事の画像(18枚) 爪痕が色濃く残るこの校舎は市によって震災遺構として整備され、2021年7月から一般公開が始まった。 震災当時5年生だった只野哲也さん (22)。 この場所には思い出が詰まっている。 只野哲也さん: 校庭側に桜の木が2本か3本ぐらい植えてあって、4月になると満開になるので、お花見給食と言ってピクニックみたいな感じですごく楽しかった. あの日、大川小の児童は教員の指示で約50分、校庭で待機を続け、移動を始めて間もなく津波に遭った。 只野哲也さん: 地面をえぐるようにして(斜面を)登って、2メートルくらい登ったんですかね。 |pho| mvl| ixl| prx| dim| zhp| blh| ayo| fyk| vfn| jpf| cjo| etj| uwv| wah| nqz| vhj| bgi| qlf| udt| mkp| gaz| qgk| gon| lcq| ygy| xpm| jpi| adv| yvq| brb| rwv| yvx| cmw| kij| pwp| blh| wcr| dar| bfl| rel| djj| skw| opx| aur| fuq| ssy| vta| eat| prt|