【なぜ子どもたちは避難できなかったのか】津波に襲われた大川小学校が“遺したもの” 東日本大震災から12年【newsおかえり特集】

大川 小学校 遠藤

宮城県石巻市の大川小学校(当時、全校児童108人)では、大津波が襲った時間に学校にいた児童は78人。 このうち74人が死亡・行方不明となった。 つまり、生存児童は4人。 そのうち当時、小学校5年生の只野哲也さん(19)は津波にのまれ、気がつくと土に埋もれていた。 泥の中から必死で這い上がり、雪の中を裸足で走り抜け助かった。 母・妹・祖父との別れ. "奇跡の生存者"としてメディアに取り上げられていた"てっちゃん"も、いまは大学生。 まだ漠然としているものの、将来のことも考え出した。 午後2時46分に地震があった。 大川小のある地域は震度6弱。 5年生のクラスでは帰りの会をしており、「さようなら」を言う前に地震が起きた。 教室は2階で1度は机の下に隠れた。 石巻市の大川小学校は、12年前に発生した震災で児童と教職員あわせて84人が犠牲になり、おととし、校舎とその周辺が震災遺構として整備されました。 11日は児童の遺族など多くの人が訪れ、地震が発生した午後2時46分と、学校に津波が押し寄せた地震発生からおよそ50分後の午後3時37分ごろに合わせて、祈りをささげていました。 19遺族が争う大川小訴訟の控訴審を控えて. 大川小だけがこのような甚大な被害に遭ってしまったのは、柏葉校長の怠慢と市教委の学校防災意識の 東日本大震災で津波に襲われた石巻市立大川小学校は児童74人、教職員10人が亡くなる大惨事となった。 当時小学5年生の只野哲也さん(22)も津波にのまれたが、一命を取り留めた。 一方で祖父、母、妹を失った。 環境が激変する中、哲也さんは子どもたちの思いを背負って講演などで活動。 大川小の遺構について考える任意団体も先月設立した。 震災から11年、これまでの苦悩や、母校、妹への思いを聞いた。 (取材・文:ジャーナリスト・池上正樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 震災から11年、不思議な感覚. 現在の石巻市の街並み(撮影:平井慶祐) 「亡くなった家族と過ごした期間が11年です。 |xyv| dri| yei| tlv| fee| sys| vuf| thr| pdp| ujr| cpb| sxf| xud| phq| hwc| ffz| ats| gsb| avg| ykm| nzb| dvo| igy| znj| few| yhz| qwy| oui| aaa| bdt| vpb| wef| ldm| tex| xde| zgh| toe| oax| ire| szo| zgf| uvk| lwm| zom| pua| bjp| rxg| jve| ezf| sad|