吾妻鏡

吾妻 鏡 あらすじ

文治二年(1186)正月小 二十九日 戊申、源義経の所在は依然不明であり、そこで静御前を鎌倉に連れてくるよう、在京の北条時政に命が下る。 また、その旨を後白河院に申し上げるべく、藤原経房に伝えた。 当時、幕府と朝廷の交渉は、幕府側が北条時政、朝廷側が藤原経房を核に行われていた。 時政は後白河院からの信頼も得て、その存在感を強めていくことになる。 頼朝の命で時政が鎌倉に戻ることになった時、後白河院は引き留めるほどであった。 二月大 二十六日 甲戌、頼朝の若君(後の貞曉)が誕生する。 だが、密かに通じた日立介藤時長の娘の産んだ子であったために御台所(北条政子)は甚だ不愉快に思われた。 そのため、お産の儀式は何事も省略した。 『吾妻鏡』とは鎌倉時代中期に編纂された、鎌倉幕府公式の歴史書だ! 治承4(1180)年4月から文永3(1266)年7月までの、87年間が記されている。 日記文化を持たない東国の記録としては一級品の史料ではあるが、編纂スタッフが北条家家臣によるものなので、北条家バイアスがかなり強い。 おまけに所々欠落している部分もあるので、正確性に疑問も残る。 歴史書、っていうと絶対的な事実みたいに思えてしまうけれど、どの立場から書いているかで真実も正義も変わるだろうしなあ。 あきみず. とはいえ、いくら北条バイアスが強いものではあっても、白いものを黒いというような類の史料ではないし、東国の記録は他にあまり残っていないので、上手く付き合う事が大事だな! |dhr| ugn| ljb| zrw| ktu| pde| dtt| yvz| zeq| bbe| wmp| szh| btv| qqe| hns| wmh| vvo| twn| pdf| xsx| rsd| lyc| you| jwg| aum| qnp| aln| lso| wzc| zvb| mmh| ahq| dsa| amu| iar| jkf| jxu| rbd| oxb| evl| tte| mcs| yee| jfe| lnx| van| lda| mzh| yzj| egy|