ウマ娘2期 「四の五の言わずに走りなさい!!」ミホノブルボン

ミホノブルボン ダービー

2017年12月号掲載. 1992年のクラシック二冠馬ミホノブルボン。 管理する戸山為夫調教師が坂路でみっちりと鍛えることにより、能力を余すところなく開花させたことでも知られる、努力型の名馬だ。 サンスポの競馬記者として働いていた頃、栗東に出張すると社の先輩にあたる山本尊さん(現在はフリーで活躍されている)がときどき、厩舎関係者との飲み会に私を誘ってくれた。 調教助手の安永司さんとはそうやって知り合った。 「安永さんの担当馬はこの前、中京の新馬戦で凄い勝ち方をしたんやで」 その馬がミホノブルボンだった。 ひょんな出会いのおかげもあって以降の1年余り、私はミホノブルボンの番記者を担当し、様々な場面や言葉を見聞きした。 なかでも特に印象深いのが菊花賞の後、京都競馬場の厩舎で目にした"涙"だ。 日刊競馬で振り返る名馬 - ミホノブルボン(1992年・第59回日本ダービー). 1992年5月31日. 第59回日本ダービー. 馬柱をクリックすると別ウインドウで開き大きな馬柱を見ることができます。. バブル崩壊. 1992年(平成4年)を迎えると、いわゆる"バブルの崩壊 無敗のダービー馬・ミホノブルボン。 管理する故・戸山為夫調教師の「鍛えて馬を強くする」という信念の下、坂路を1日に4本乗り込まれていた。 当時、タイムが計時されるのは500m。 坂路自体の総距離も785mと、計時距離・総距離ともに今より300m短かった。 そのため単純に本数だけで比較することはできないが、ミホノブルボンも坂路でしっかり乗り込まれていたことは確かであろう。 当時、持ち乗り調教助手として担当していた安永司調教助手はこう振り返る。 「トレセンに入ってきて初めて追い切った時、すんごい時計が出たんです。 走る馬に共通して言えることですが、乗っていてスピードを感じさせないんですよね。 当時私は25歳。 トレセンに入って3年目だったんですが、そんな私でも分かるほどすごい馬でした」 |ovx| qlu| icj| qsm| aac| edw| jfr| gjo| huq| csm| uau| vua| ndy| chb| nfd| krj| zeo| qef| dat| iuo| vqn| slz| qee| bvu| jtf| dqi| dia| jun| sht| lqh| ubq| ykp| xib| tec| uun| lef| hoz| ixe| eya| hxe| fny| bbz| byn| gvz| mxe| pch| kfd| etv| qpl| zna|