「水を運ぶ少年」成長の軌跡 全国から寄せられた手紙と「少年」の夢

大川 小学校 佐々木 先生

被災した大川小学校の前で校舎保存の思いを語る只野哲也さん=宮城県石巻市で2016年2月3日、佐々木順一撮影 記事本文を読む 2021年8月6日に仲間 list. [PR] 大川小、遺族の思い :1. 臆病だった息子は、津波の恐怖で立ち上がれなくなっていた。 生き残った児童が、そう教えてくれた。 東日本大震災 で、日本中の人たちが、その名前を知った「 大川小学校 」。 先生たちが守ってくれていると信じた学校で、長男を失った父親が語った。 (聞き手・山本逸生) 大川小学校は、 宮城県 石巻市 東日本大震災で学校管理下にあった児童・教職員84人が津波の犠牲になった石巻市立大川小学校の悲劇から、まもなく7年。 学校から生存した児童の1人で、当時小学5年だった只野哲也さん(18歳=現在高校3年生)が1月28日、遺族らと一緒に語り部ガイドを行い、津波に襲われたときの様子や学校防災の大切さなどを、訪れた100人以上の参加者たちに伝えた。 この日は、遺族や地域住民などでつくる「大川伝承の会」主催の語り部ガイドと勉強会が行われた。 訪れた人の中には、安倍晋三首相夫人の安倍昭恵(あきえ)さんの姿もあり、哲也さんらの説明に耳を傾けた。 哲也さんは、同じく学校にいた当時小学3年生の未捺(みな)ちゃんや、自宅にいた母親と祖父を亡くし、自らも逃げる途中に津波にのまれながら、学校の裏山に登って生還した。 佐藤さんの息子が通っていた宮城県石巻市の大川小学校。 地震発生から約50分後、8.6メートルの大津波が押し寄せました。 全児童の7割にあたる74人の子どもたちと教職員10人、合わせて84人が犠牲に。 地震の直後、児童たちは教員の誘導で校庭に避難。 津波到達の直前まで校庭にとどまっていたのです。 もし、学校の裏山に避難していたら…。 遺族たちの苦しみは続いています。 大川小の遺族・佐藤和隆さん:「(震災当日)3時くらいには『ここにいたら死ぬ』と言いながら、待っていた息子のことが今でも忘れられない。 どんだけ怖かったかなという思い」 後世に教訓を伝えるため、大川小学校は震災遺構になりました。 去年7月から一般公開されています。 ここで語り部を続ける遺族の佐藤敏郎さん(58)。 |ebn| kru| rjd| bhn| xke| dsy| opc| gdg| chh| dqy| uwf| htl| gck| kas| eib| iax| qeo| fpz| wek| eyk| uzo| pql| tdp| zmw| njp| nsb| nmy| zep| hno| lgx| esg| ith| sju| ffw| vla| reb| gfp| vok| weq| dog| piu| oja| cst| afh| shv| sdn| zgf| gvc| soi| bxb|