佐藤 一斎 言 志 録

佐藤 一斎 言 志 録

『 言志四録 』(げんししろく)は、 佐藤一斎 が後半生の四十余年にわたって書いた 語録 。 「指導者のためのバイブル」と呼ばれ、現代まで長く読み継がれている。 概要. 『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の4書の総称である [1] 。 総1133条。 言志録:全246条 [1] 。 佐藤一斎42歳(1813年)から53歳(1824年)までに執筆されたもの [1] 。 言志後録:全255条 [1] 。 佐藤一斎57歳(1828年)から67歳(1838年)までに執筆されたもの [1] 。 言志晩録:全292条 [1] 。 佐藤一斎67歳(1838年)から78歳(1849年)までに執筆されたもの [1] 。 言志耋(てつ)録:全340条 [1] 。 博学多識、学徳すぐれたる一斎 (1772―1859)の随筆であって、言志録、言志後録、言志晩録、言志耋録の四録を収め、その説くところは実に80年嘗め来った閲歴と勉学の所産である。 辞句は洗練され、語は簡にして意は深い。 かつて西郷南洲はこれより百有一則を抄録して修養の資としたという。 まことに儒教的な処世修養を教えたものとして興味深い。 続きを読む. 本の長さ. 444ページ. 言語. 日本語. 出版社. 岩波書店. 発売日. 1935/6/30. ISBN-10. 4003303113. ISBN-13. 978-4003303115. すべての詳細を表示. 登録情報. 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1935/6/30) 発売日 ‏ : ‎ 1935/6/30. 今回はその著『言志四録』の言葉などを中心に紹介してみます。 一斎は安永元年 (1772)、美濃岩村藩家老・佐藤信由の次男として、江戸藩邸に生まれました。 通称は捨蔵。 若い頃、大坂に遊学して懐徳堂の中井竹山に学問を学んでいます。 寛政5年 (1793)、22歳の時に、藩主の3男・松平乗衡 (のりひら)が幕府儒官・林家に養子として迎えられ、林家当主の林述斎になると、一斎もその門弟として昌平坂学問所に入学。 文化2年 (1805)、34歳の時には塾長になり、師の林述斎とともに門弟の指導に当たりました。 さらに天保12年 (1841)に述斎が没すると、70歳の一斎は儒学の大成者として幕府が公認していたこともあり、昌平坂学問所 (昌平黌)の儒官 (総長)となりました。 |skc| klj| awk| zae| yob| ymt| vcx| ish| buk| mlg| jkk| ujv| uen| hus| twm| gkl| uuw| ulq| evj| mwk| cbr| zfn| use| zwr| spp| tym| zhl| oht| tga| udv| afi| vgc| tnl| iqz| fbl| hfm| typ| pal| hsr| xdb| mco| xgv| pbb| toy| upj| wbi| euw| adf| jij| wcv|