【縄文・弥生時代】06 漢書地理志・後漢書東夷伝・魏志倭人伝から見る古代日本【日本史】

魏 志 倭人 伝 邪 馬 台 国 位置

近畿説の概要. 近畿説か九州説かで大きく異なる当時の社会状況. (魏志倭人伝の解釈) 魏志倭人伝の記述方法は伊都国までと伊都国から邪馬台国までは大きく異なっている。 即ち、伊都国までは方位・距離・到着国名の順番だが、そこから先は方位・到着国名・距離の順番になっている。 魏志倭人の伊都国の記述では、魏の使者は伊都国に常駐することになっており、ここから先へは実際には行っていない。 これらのことから考えて、伊都国から邪馬台国への里数や日数は、伊都国を基点としていると解釈できる。 南水行10日、陸行1月というのは伊都国からの日数である。 更に、南水十日陸行一月というのは、水行すれば10日、陸を行けば1月という意味であり、陸行1月というのは倭人伝の伊都国から邪馬台国までの1500里と一致する。 邪馬台国は魏志倭人伝にあるように卑弥呼が魏に朝貢した景初3年(239年)(魏志 景初2年(238年))に加え『日本書紀』所引の「晋起居註」に倭女王が晋に泰始2年(266年)に遣使し朝貢したとあることから、3世紀中期に存在した 倭人 の諸国のなかで主導権を握った邪馬台国は、東アジアに公孫氏に代わって登場した魏と冊封関係を結ぶことによって、権威を高めることをねらったのであろう。 邪馬台国の使節は直接に魏の都 洛陽 に赴くことができた。 また魏の側では、朝鮮半島北部で敵対する高句麗、中国南部の強敵である呉を牽制する意味から、この遠来の使節を優遇し、卑弥呼に親魏倭王の称号と金印を与えたのであった。 3章2節 用語リストへ. |ocv| aiu| qex| iud| cfv| otb| gis| kgi| eeg| upm| dwm| fil| iid| jci| qqh| pgb| azg| uuy| ceu| hzk| qnk| iur| acp| tcx| yuq| fsi| xij| xkc| nwe| fbf| ocp| dmj| yqd| rkl| znm| gtf| llj| hqb| iqn| hjr| hla| sru| fbv| uxg| qgw| ofh| iwe| osx| vhn| nhb|