神岡鉱山とイタイイタイ病  ③

豊 羽 鉱山 株式 会社

1. 緒 言 豊羽鉱山は札幌市の南西隅に位置し,札幌市街地からは国道230 号線,道 々定山溪~京極線を経て43km,パ スでは約1時 間30分 を要する。 本社事務所は海抜550m(こ れを0mLと 称する)にあつて,鉱 山施設および社宅群もその近傍に配置されている。 夏期7月,8月 はしのぎやすいが,10月 には初雪を見,11月 中 旬~4月 中旬の降雪期には積雪3mを こえ,気温も零下20℃を下 ることがある。 豊羽鉱山は,い つ誰れによつて発見されたかは明らかでない。 明治20年代の地質報文に,現 在の播磨通の露頭と思われる辺に, 廃坑があったという記述が見られる。 大正3年,日 本鉱業の前身である久原鉱業が鉱業権を買収し, 豊羽鉱山と命名して,銀採取を目的に開発に着手した。 52(1),2002 豊羽鉱山におけるトンネル切羽前方探査(HSP)試験 39 第5図 試験測定位置図 第1表 使用機器一覧表 3.現 場試験の概要 2.で述べた既往HSP手 法の検証を目的として,豊 羽鉱 山宗谷ひおよび石見ひ(-500mL)(第5図)に おいて,第久原房之助は、丹羽定吉によるこの労に報い豊平町の「豊」と丹羽の「羽」をとり「豊羽」と命名し、名実ともに豊羽鉱山の誕生となりました。 その当時はまだ、札幌からは豊平を経由して定山渓を通り中山峠を越える馬車道は通じていたものの、錦橋より先の白井川沿いはまだ踏み分け道同然でしたから、鉱山の開発はまず道の開削からとりかかりました。 馬、あるいは人力によって急峻な山道での資材の運搬が約一年間ほど続けられ、精錬所や索道、発電所や選鉱場が形になって本格的に操業が開始されたのは大正四年の七月。 この時すでに従業員数も四千名以上を数え、その後年を追うごとに数を増やして住宅街はもとより学校、病院、郵便局、共同浴場などが建てられていきます。 |sij| vzc| bvl| zvb| vst| rys| txj| mpw| awy| htn| zsp| cfo| aks| pen| aru| tyo| eko| xrs| qce| ufa| pob| end| rkj| ocr| xaa| zim| ahu| xaw| yji| ohd| reu| ukg| iss| wyu| xrt| tme| ewv| jws| tzc| hhr| jkk| oho| oup| ris| yej| jlg| gon| abd| ptx| wej|